いつか思い出になる

今週のお題「暑すぎる」

エアコンの効いた冷たい部屋に寝転がって思うのは、さっき見たビデオと、あの人のことだった。

時が静かに流れるのは幸福なことであり残酷なことだ。毎日毎日思い出して淋しくなる訳じゃない。昨日だってわたしは友達と大騒ぎしながらコンビニに行ってお菓子買って、雑誌見ながらワアワア言っていた。今日だって。

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スケートリンクの真ん中あたりでくるくる回っていた彼は、わたしが手摺りにつかまったままゆっくり転ぶのを見ていて、笑いながら近づいて手を差しのべてくれた。その時の彼の手袋の色。その時に流れていたヒット曲。
いつか三人で下北を歩いていた時の歩くスピード。その時に入った小さなお店たち。その時の話題。
エキゾチックで怪しい雰囲気の料理屋さんで頼んだその料理の味。その時彼が吸っていた煙草の銘柄。わたしの爪の色。
初めて交わした言葉。待ち合わせ場所から見えた景色。空の色。地下鉄の待ち時間。サッカー雑誌のタイトル。笑った言葉。持って行ったバッグ。最後に交わした言葉。
たくさんのことを覚えてはいるけど、たくさんのことを忘れてしまった。大切なこと、ひとつずつ、どうして覚えていられなかったんだろう?というのは失ってから初めて思うこと。忘れてゆくことに胸が痛んだり、もどかしくなったりもするけれど、細部を忘れてしまった思い出はとても優しい。輪郭がぼんやりと曖昧で、気持ちだけが夕方の窓際のように、やわらかく、まぁるく、残っている。
ぼんやりとした色や形で思えるようになれば心は平和だ。余計なことは思い出さない。だから時間が経ってしまった思い出はいつも美しい。
そんなふうにあの人のこともいつか思い出になる。きっと、いろんなことをもっと忘れてしまう。それは残酷なことだけど、きっとしあわせなこと。失ってしまった悲しみや出来なくて後悔したことにいつまでも捕われていることはない。きっとそれは思い出すたびにわたしを優しくさせて元気にさせる。


蝉がせわしく鳴いている。照り付ける日差しは容赦ない。また夏が来ている。わたしたちの夏だよ。今年はいつもより暑いねぇ。暑すぎるよ。
なんだか安心してしまったよ。切実に、まっすぐに、こんなふうに一生失いたくないと思ったものが他にあるだろうか。