稲妻の様に生きていたいだけ

遊園地で遊び終えて、スカイラークにたどり着いたのは午後11時。わたしたちはすっかり疲れ果てていた。午後から天気は良くなったけど星は見えない夜だった。店内は明るすぎて逆に気分は暗くなった。あぁ、そっか、もうすぐ帰らなきゃいけないんだ。そう思うと途端に食欲がなくなった。先生の顔もまっすぐに見ることができない。

「どうかした?」
向かいの席に座った先生がわたしの視線の先を探して振り返りながら言った。
「お酒飲んだから眠たいだけよ」
嘘をつくのは得意だけど、わざと視線を泳がせて、わざとぎこちなく微笑んでみせた。窓の外にボーリング場の看板が見える。赤いネオンが頼りなさ気に光っていた。視線の持って行き場が他になかったわたしは、それを一文字ずつ何度も何度も目で追って読んだ。

今日のデートが終わっても、わたしたち、また会えるのかしら。
そりゃ会えるよな、友達だもの。
自問自答して悲しくなった。わたしたち「友達」。 卒業してから「友達になれたね」と先生はわたしに言った。「先生と生徒」ではなくなったけど、まだただの「友達」だ。
男と女であることはとてもめんどくさい。わたしも男だったらよかったと先生に出会ってから何度も思った。わたしが男ならきっともっと先生と仲良くなれるし、きっともっと一緒にいられる。また会えるかどうか心配になったりしないし、お互いの恋人の話もできる。だけど、どれだけ願ってもわたしは女であることに変わりはないし(いくら中身が男っぽくあっても)、それに決定的な悲劇は、わたしが女の感情で男の先生を好きなことだった。それはもう呆れるほどひたすらに。だから、本当に、どうしようもない。

運ばれてきたものを食べ終わっても、わたしたちは席を立たなかった。お互いほとんど口も開かなかった。先生がテーブルの上の煙草に手を伸ばす度にあたしの心臓は止まりそうになる。それをポケットに仕舞って立ち上がるのか、それとも火をつけるのか。煙草に火がつくとわたしはバカみたいに胸をなでおろす。
よかった。まだ数分は一緒にいられる。


この前の夜は、髪を撫でて頬に触れた。雨が降っていた。先生はわたしが選んだネクタイをしていた。ストライプのナロータイ。伊勢丹で買った。亜美が選んだのにするから決めてよ、と先生が言ったんだ。

 

悪いことをしたからって、それがそんなに悪いことだろうか。
側にいたくて、触れたくて、どうしようもないのに。

こんな一瞬のきらめきの中、こんなにも近くにいるっていうのに。

 

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ボーリング場のネオンが消えた。壁の時計を見ると針がちょうど12時を指していた。
ゲスの極み乙女の曲がどうだとか、妹の友達がどうだとか、先生がつけている薔薇のピンバッッジがかわいいとか、わたしの髪の毛がライオンみたいだとか、もう眠いとか、もう疲れたとか、そんなどうでもいいことをわたしたちはポツポツと話していた。先生はさっきから何度も何度も煙草に手を伸ばし、わたしの心臓をドキドキさせる。
「眠いから顔洗ってくるわ」
そう言って先生は席を立った。わたしは面食らった。なにそれ、意味がわからない。全然わからない。泣きそう。早く「帰ろう」って言ってくれたらいいのに。そしたら帰れるのに。一緒にいたいけど、もう帰りたいわ。帰りたいけど、帰りたくないけど、もう帰りたい。

結局店を出たのは1時半だった。息苦しさに耐えられなくなったわたしが、帰ろう、と言ったんだった。先生はホッとしただろう。同じようにわたしもホッとした。

「またね、おやすみ」
それだけ言って車を降りた。振り返るもんかと思った。絶対に振り返るもんか。

部屋に戻って床にぺたんと座って、さっき先生にもらった白いライター(昼間に行った遊園地の帰りに先生が買ったもので、帰り際にわたしがねだったもの)を取り出して無駄に火を付けてみた。そしたら今まで我慢していた涙が出てきて止まらなくなった。


窓の外はもう明るい。いつのまにかもう朝だ。
かばんの中に先生のデジカメが紛れ込んでいて、わたしは、あぁ、よかった、これでまた電話する言い訳ができる。あぁ、よかった、しあわせだなぁって、そう思うんだった。

残酷な天使のテーゼ

連日の猛暑で「暑い」と言うのも飽き飽きしてきた頃。今年は新型コロナと異常気象で今までの夏とは違うけれど、そろそろその「非日常」も受け入れて新しい「日常」に慣れつつもある。いいことなのか悪いことなのか。そんな2020年の夏。

 

残酷な天使のテーゼを演奏したのは2010年。今から10年も前。

硝子ちゃんと璃和さんとわたしの合作。合作いいよね、楽しいよ。

衣装はレイとアスカのゴスロリバージョン。オーダーして作って頂きました。気に入って他の踊ってみたイベントでも着ることがあったなぁ。

 

璃和さんが作ってくれたMADすき。よく見るとMADの中に硝子ちゃんとわたしも紛れ込んでいるよ。よく見て見つけてみてね。

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間奏ではわたしがピアニカソロを吹いています。振り返ってみると、ニコニコ動画でピアニカを初めて使ったのはこの動画だった。今ではすっかり「ピアニカの人」だけど。

後半からが本編だから時間がない人は後半だけ見てってください。

 

ひたすら自由だったな。リアルでも、ニコニコでも。

戻らない青が惜しみなくくれた自由をいつまでも覚えていたい。

サイハテ

「硝子ちゃんがなにか動画面白い作ってる!!」

ニコニコ動画に出会って一番最初に見たのが硝子ちゃんの演奏してみた動画だった。

わたしもやってみたい!それが亜美っぽいどが生まれたきっかけ。動画の投稿がよくわからなくて静止画で歌ってみたを撮ったのが初投稿。亜美っぽいど16歳である。自分を表現できて、見てくれる人がいる楽しみ。どんどん投稿していった。

 

むこうはどんなところなんだろうね?

無事に着いたら便りでもほしいよ。

 

小林オニキスさんのポップなレクイエム「サイハテ」を歌ったのは2009年12月29日。

璃和さんが素敵なアニメーションを作ってくれました。

後半はPCからコメントすると面白い仕掛けもあるので是非コメントしてみてください。

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あの頃はまだガラケーだった。

あの頃はまだ誰の死も知らなかった。骨肉腫で死んだゆきちゃん、飼っていたハムスターのポニョ、おじいちゃん、健人。

今なら歌詞の内容も十分に理解できてもっと優しい声で歌えるかな。

 

ルーシーはダイヤモンドと空の上

平日だけどお酒を飲んできた。
音楽ってすごくって、当時の記憶だけじゃなく感性まで鮮やかに蘇ってしまって驚くことがある。いつもいくBarで健人のことを思い出していた。先日脳腫瘍で亡くなった友達。POLICEの「Every Breath You Take」が流れていた。

 

昔、結婚式の余興でそれを弾き語りしたことがある。その頃、わたしは健人に言った。
「これストーカーみたいじゃんね」
「ストーカーの曲だもの」
健人は即答した。
それからこの曲を聴くたびに「あぁストーカーの曲だ」と思い出す。

そしてどうでもいいんだけど、なぜか友達をみんな外国の名前で呼ぶブームが昔わたしの中であって、その時に健人をLucyと呼んでいた。
「in the sky with Diamondかよ」
健人は言った。

なのでわたしは「Every Breath You Take」と「Lucy in the sky with Diamond」を聴くと必ず健人を思い出す。
あの時の未熟な感性と共に。

 

ふと思い出すのは何年も前の5月で、それはまだわたしは若くて、バカみたいなツインテールなどしてなかった頃。


初夏の日の午後の遊園地。いきなりの大雨。センチメンタル。バケツをひっくり返したようなどしゃ降り。びしょ濡れになったわたしたちは売店の軒下に走り込んだ。わざとぶつかりあって騒いで走ってたら係の人に怒られたっけ。色褪せた看板や植木の葉が雨に濡れて急に鮮やかになる。懐かしいような土の匂いがした。
「あーあ傘誰ももってないよね」
仕方がないからわたしたちはそこでしばらく雨宿りをすることにした。
「ねぇ、来年の夏はみんなでもっとどっか行かない?」
誰かが言った。
「沖縄がいい」
「沖縄いいね!行こうよ、またみんなで一緒に行こうよ!」
「そうだね」
わたしは言った。
「うん、一緒に行こう」

守れない約束をしてしまったと思った。来年。来年のことすら想像できない。きっと、そこにいる全員が同じことを思っただろう。急にみんな口を閉じてしまった。雨の音だけがざあざあと聞こえた。


あの頃の一年は大きい。わたしたちまた来年も会えるのかしら。いつかどこかで大人になって「知らない人」になったりもするのかな、なんて思ったりもした。

 

気がついたら雨はほとんどあがっていた。雲の隙間から太陽が見える。

「あ、ほら晴れてる」
「虹!!!」
健人が叫んだ。雨はあがっていた。雲の中の太陽が眩しくて、観覧車の向こうに虹が見えた。神様はいると思った。ってくらいのシーン。
わたしは真っ先に飛び出して笑った。


「行こうよ!」

 

それから健人と紡いだ何年もの記憶をわたしは忘れない。
多分、ずっと、忘れない。

曲を聴くたびにに思い出す。思い出したい。

 

わたしたちのあの平凡は本当はとても壊れやすくて、なくさないことは奇跡だった。

 

バーボンはいつもと変わらない味がした。

 

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写真は健人が撮ったわたしの貴重な写真。

 

ルーシーはダイヤモンドと空の上。

天使たちのシーン

日曜日
「…電源が入っていないためかかりません」
iPhoneから流れるその音声をしばらく聞いてから電話を切った。
どうしてこんなときに電源を入れてないの。
読みかけの村上春樹訳、寝転がって開いた。ばかばかしくて文字も見えない。ペラペラめくって閉じてまた開いてまた閉じた。リアルなこと思い出せばいいとか、そんなことを確か最初のほうでホールデンが言っていた。
「健人が死んだ」
恐ろしく低い声で美香ちゃんが言った。一方的に喋って切れた電話にまだ耳をつけたままわたしはぼんやりとしていた。「健人が死んだ?」そんなばかな。わたしは健人に電話をかける。「なんだよー」いつもわたしの電話をうざったがって笑う健人の声は聞こえてこなかった。

月曜日。
6時に目が覚めた。ほとんど寝てない。
健人のfacebookを見た。
他の人が健人をタグ付けして書いていた。
「悲しいお知らせです」
わたしはfacebookを閉じた。

歌詞を書かなきゃいけないのに、何も書けないな。
「歌詞、遅れて申し訳ないです」
一言グループに投稿した。

図書館で本を7冊借りた。今書いているレポートに必要なもの。
鞄はめちゃくちゃ重かった。
「ご飯食べに行こうよ」と友達からLINEがきた。ビールの絵文字付きで。
「行こう行こうビール日和だー」わたしもビールの絵文字付きで返信した。

友達が死んだってことは言わなかった。
飲み放題でもないのにビールは2人で16杯も飲んだ。
「もうドリンクバーみたいじゃん」
わたしはずっと笑っていた。
鞄が重いんだって話をして、借りている本を全部見せたりもした。
楽しかったので、わたしはずっと笑っていた。

1年ほど前、健人に普通にLINEを送った。
「久しぶりー!遊びに行こうよ、21日とか、来週とかでもいいけど」
すぐに返事が来た。
「今福岡で入院してる。脳腫瘍で、もうダメだと思う。帰れないと思う」
動揺はした。でもそんなことがあるわけがないと思った。そんなことがあってたまるかと思った。
動揺している素振りなど見せず、今まで通り頻繁にLINEは送った。「可愛いだろー」と自撮りやコスプレの写真を送り「やめろ目が腐る」などと言われていた。わたしはそれがうれしかった。

健人はもともと友達の友達だった。
もう随分昔のことだけど、自主制作映画を作った、その時の主演の男の子の友達だった。
撮影中に主演の子が過って炊飯器をひっくり返した。大爆笑でことは片付き、わたしはそのネタを日記に書いた。その時に「うちの悠介がごめんなさいね」とコメントをくれたのが健人だった。

よくぞまぁコメントをくださいました。
もしあの時映画にわたしが関わっていなければ。もしあの時、主演を別の人にしていたら。もしあの時悠介が炊飯器をひっくり返さなければ。もしわたしがあの時あんな気まぐれを起こさず普通の内容の日記を書いていたら。もし健人が日記を見ていなかったら。
もしそうなら、わたしと健人は永遠に知り合うこともなかった。
人は数えきれないほどの頼りない偶然を乗り越えて出会ってしまう。でもわたしはそれを運命だとかと言って美化する気持ちもない。ただ、ただ、偶然に出会うのだ。
しかし、人が一生のうちに会える人の数はわずかだ。出会っても通り過ぎることもある。わたしもたくさんの人と出会い、何かを共有したりもする人もいた。ただすれ違いざまに「どうも」と声をかけるだけの人もいた。
そんな中で、確かな友情を育て上げられた幸運を、わたしは誰に感謝すればいいのかな。
たくさんの偶然と、健人と、わたしに、ありがとう。

悠介の友達だった健人は、いつの間にか、普通にわたしの友達になった。
あの頃、退廃的だった2つ年下の健人は言った。
「何か新しいものを得ることに期待はしてないし、友達を増やしたいとも思っていない。ただの暇つぶしに書き殴りに毛が生えたものをポチポチ。期待していないから失望することもない。でも思わぬ流れで亜美とマブダチになれたことは意外だった」
マブダチ。
その後も健人はわたしのことを「プレミアムな友達」と呼んだ。
すごく光栄で忘れられない。
わたしはプレミアムな友達によく怒られていた。
「もっとマシな男がいるだろうが!」とか「反対行きの電車に乗るのはいい加減やめろ!」とか「セーラー服を着るのはやめてくれ!」とか。
怒られていてもわたしはうれしかった。

ある日突然、健人は狂言師になった。
「まったくあいつのやることは意味わかんねーなー」と悠介は言った。
健人が役者デビューした公演は広島の厳島神社で、その日はあいにくの雨だった。
絶対デビュー公演は見なければならない。わたしは新幹線に乗って広島まで行った。
雨の中、一人でずっと健人を見ていた。
凛とした表情で立っていた健人はとてもかっこよかった。健人も大人になったんだなって涙が出た。ここまで来てよかったと思った。わたしってばプレミアムな友達だなとも思った。

あれから、何度も健人の舞台は見た。
東京、京都、名古屋、福岡。行けるところには全部行った。健人のお芝居のジャンルに興味はなかった。ただ、輝いている健人を見たかった。それだけ。

わたしは全然酔わない。
2人でビール16杯も飲むなんて正気の沙汰ではない。
でも、さらに場所を変えてレッドアイを2杯ずつと、ウイスキーのロックを2杯ずつ飲んだ。
隣の席で若い女子2人が彼氏の愚痴を大声でこぼしている。LINEの返事をくれないとか、何もわかってくれないとか、ダイスケが何を考えているかもうわからないとか。

わたしはiPhoneの中の古い写真を見た。セントレア空港でわたしが写した健人と悠介の写真、後になってから絵にも描いた。ちなみに淡い方が健人。健人はその絵をずっとLINEのアイコンで使ってくれていた。

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ザアザア降りの大雨が一瞬にしてあがった。神々しく光が射した奇跡のような空を思い出した。突然泣きたくなった。全てに解き放たれたような瞬間。Life is comin' backの瞬間。
いつだったかもう随分と昔、7年も8年も昔、健人と夜中まで話をした。小沢健二について。Life is comin' backという言葉について。その瞬間について。恋や夢や音楽や言葉や風や水や空や光や、とてもキラキラしたもの。欲しいもの。共有したいもの。生きるということ。運命ということ。

「あの時あの瞬間、違う選択肢を選んでいたら今頃俺はどこ歩いてんだろう、誰と出会ってたんだろう、って思うよ。でも差し詰め今はどうでもいい。まぁ俺も今は平和で暇だし、こうやって亜美と語り合えるくらいには大人になったんだから」
もう、たぶん、長くないであろうことを知っていた健人は終わり頃、そう言った。
そうだね。うん。どうでもいい。
健人と知り合ってなかったらどうなってたかなんて、本当にどうでもいい。
なんかどうでもいい。明日やらなきゃいけないこととか、決めなきゃいけないこととか、もうどうでもいい。
「どうでもいい」だなんて言うと屁理屈ばかり言いたがる健人は面白がって「それはどうかな」ってきっと笑う。「あはは」って。ちっとも良くないのに、すぐ「それはよかった」と言う。そんなことで悲観するなよ、未来はこれからだぜ。
あぁそれは本当に「そんなこと」だ。
涙目になってウイスキーを飲んだ。
当然だけどみんなそれぞれの人生をそれぞれ生きている。ボックス席のカップルは旅行の計画を立てている。マリちゃんはまだダイスケの愚痴を大声で喋っている。健人は死んだ。死んでしまった。どうしよう。意味がわからない。理解出来ない。だって、そんなのわからない。わたしは泣いているみたいでだらしがない。
「そんなことで泣くなよ、ばかだな」と健人は笑って言う。わたしもつい笑ってしまう。健人の言葉になんだか嬉しくなってしまう。健人が死んだっていうのに。

火曜日。
相変わらず電話はつながらない。LINEも既読にならない。
悠介が電話をくれたことを話したかった。
彼が長かった髪を切ってゲスの極み乙女みたいになったらしいとか、「本当に!?」って2回聞いたこととか、「そんなん聞いてないしLINEも話の途中で終わってる」って怒ってたとか、話す言葉がなくてずっと黙っていたとか。
きっと健人はそれを聞いて嬉しそうに笑う。あはは」と声に出して言う。「それはよかった」とか言う。ちっともよくない。わたしは悲しくなってしまう。ちっともよくないよ。でも健人が笑うから、本当におかしそうに笑うからつられて笑ってしまう。健人が死んだっていう時に。

水曜日。
13分半、じっと耳を澄ませていた。天使たちのシーン。あの時、わたしたちがよく聞いていた曲。涙が出るのは何故なんだろう。
わたしたちがここでじっとしている間にも、時間は刻々とすぎていくし、まわりの景色も匂いも変わっていく。また陽がのぼって、犬が吠えて、葉っぱは太陽に照らされてキラキラ光る。季節は夏に向かう。坂道を降りてサンダルの踵をすり減らして、ちょっとずつ変わっていく人に流されて、泣いたり笑ったり。あぁそれは本当に当たり前の日常だ。狂おしく愛おしい日常だ。
行かなくちゃ。
ぼんやりと歌ってしまう。しあわせな歌詞が書けそうだとさえ思ってしまう。健人が「それはよかった」と言って笑う。あぁなんて人なの。わたしはまた泣きたくなる。だけどわたしも健人も悠介もいつもどおりなんだと思う。何一つおかしいことはない。本当はわかっている。
あぁ、もっといろんなこと、今度会ったら話そうと思う。わたしたちをつないでる緩やかな止まらない法則があるよ、ずっと。

海へ行くつもりじゃなかった

「このLINEまだ使われてるかな?オザケンのDVD借りています」

わたしは来たLINEを見て驚いた。ひさしぶり!!!差出人は恵美ちゃん。オザケンのDVDとは「超LIFE」のことだ。発売日は2014年12月17日。すぐ買ってすぐ見てすぐ貸した記憶がある。あれから5年も経っていた。恵美ちゃんが就職して、会わなくなって5年も経っていた。

本当の友達とは、何年も会わずにいても昨日の続きのように話ができる人のことだと聞いたことがある。

「変わらないね!」

「あなたもよ!」

「ごめんね長く借りすぎちゃってて!」

恵美ちゃんはかわいい花束と一緒にDVDを持ってきてくれた。会った瞬間からうれしくて楽しかった。わたしの大好きな恵美ちゃんだった。その昔、わたしたちは小沢健二を死ぬほど聞いて踊ったり、七尾旅人の録画をひたすら見る会などをしていた。

 

小沢健二の2枚目のアルバム「LIFE」は、わたしの生涯最も多く再生されたアルバムだ。あとわたしが仮に60年生きても変わらない。それほど聴いた。わたしの青春のどのシーンにも小沢健二は一緒にいた。

 

小沢健二から遡って、わたしたちはフリッパーズギターも聴いていた。

フリッパーズギターの1枚目のアルバムのタイトルは「海へ行くつもりじゃなかった」。

人生にはそういうことがときどきある。海に行くつもりじゃなかった。人が人に出会うとそうなってしまう。

わたしが亜美っぽいどとして活動をし始めて10年もの時が過ぎた。最初はこんなつもりじゃなかった。璃和さんと硝子ちゃんとでひっそりやっていくつもりだった。だけど出会ってしまった。

わたしの財産は今まで出会ってきた沢山の人です。見つけ出してくれてありがとう。いろいろな気持ちを重ねあわせてくれてどうもありがとう。亜美っぽいどを始めてから、培った粘りや、対人関係の救いは今のわたしにとって大きなプラスになっています。紡ぎ始めたものは最後まで紡ぐつもりです。

静かですが、強い、危険な物語です。

10年間を振り返りながら、少しずつ文章を書いていきます。

 

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「青春」とは、人生のある期間ではなく、心の持ち方だと思います。強い意思と想像力、情熱を一生持ち続けていきたい。